ララランドという映画を観ました。レトロなミュージカルを彷彿とさせるシーンも多く、楽しめる映画でした。一言でいうと、主役の男女が恋愛するという映画なのですが、ネタバレしてしまいますが、この二人は結局は別々の人生を歩いていきます。
すれ違いの根底にあるものは「投影」
投影とは、他人の中に自己を見ることをさしますが、この場合は、他人の言動に、過去の別の人の感情や言動を被せて見てしまうという意味での投影です。男は、過去に、お姉さんから定職に就きなさいと叱られてきています。男としてダメな人だというニュアンスを含めて。主役の女性とお近づきになれて、恋をしても、彼女が自分に恋をしたのは、彼女が優越感を持ちたいためだと思っており、自分がやりたくもないが、お金が儲かる仕事をするようになったのも、彼女が「定職に就くことを望んだ」からというわけです。
他者の言動を投影することで起こる悲劇
彼女が定職に就くことを希望していたのは、店を持つための資金を作るためだったのですが、男はその気持ちを知らず、勝手に過去の姉の言動を投影してしまっていたわけです。また、女の方も、一人舞台が終わったあと、帰る観客の男性たちが「まったくの大根(役者)だな」と笑っているのを聞いて、男が迎えにきてくれた時に、「どうせ大根だと思っているでしょう!」と喧嘩してしまいます。男は、本心から女の才能を高く評価していたのにもかかわらず、女は、観客の言葉を投影してしまったわけです。そうして、環境的にもすれ違いが深まっていき、別々の人生を生きていくことになってしまったわけです。
私たちの身の回りにもよくありがちなこと
特に、愛着障害があるようなときには、自分の母を周囲の女性の中に見たり、自分の父を周囲の男性に見たりします。その勘違いがあったために、結果的によくなりました、という場合はよいのですが、このストーリーのように、喧嘩せずにすんだものを喧嘩してしまうというような、マイナスの結果になってしまうこともありますので、相手の性格や言動に何も投影せずに、ありのままを観察したいものですね。